ディスク領域不足なオタクの外付けHD

脳内で整理するのが苦手なので文字に起こしています。めせもあという最強のアイドルが好きです。

毎日推しという万華鏡を覗いている話

推しを推す ということについて、ことたまにいろいろ考え込んでしまう癖があるのですが、これから綴る文章は、そんな私の とある日の頭の中を取り出してきてぎゅっとしたようなもので、そんなに愉快なものじゃないし 為になるような代物でもないと思います。ちなみに割と前から下書きでこねくり回していたエントリーなので、幕張がどうとか初対面がどうとかは全く関係ないです。たぶん。そのつもりだったはず。

本当はこれあげるかめちゃくちゃ迷ったんですけど*1、もしかしたらいつかフラッと下書きに戻したり消したりしちゃうかもしれないんですけど、それでもこうして感じていることをどこかしらに残しておきたいってふと思ってしまったので、このネットの海の片隅に思い切って放り投げちゃおうと思います。
自分語りや勝手な解釈(?)*2が多く含まれると思うので、万が一ちょっとでもなんか違うな~とか不快だな~とか思ったら迷わずブラウザバックしてください。どうぞよろしくお願いします。





保険がすごいね。





推しを推すこと。
世のオタクはそれをいろんな形であらわしていると思います。
ライブやイベントに行くこと、リプライや特典会やお手紙なんかで推しに感想や気持ちを伝えること、グッズを買ったり集めたりすること…そういう直接的なこと以外にもいろんな表現方法があると思います。

きっとその根本は 想うこと。
それはいろんな感情に起因するのだと思います。
かっこいい、かわいい、すごい、好き、、、


今 私の中で割と比重が大きいのが「推しに対しての尊敬」。
これが果たして正解か不正解かというのは一旦置いといて いやまあ推しを推すにあたって正解も不正解もないかもしれないけど自分の中で若干の不安要素ではあるというか まあそれはさておき 私は推しのことをとても尊敬しています。

私が推している身長188cmガリヒョロ担当(※ただしもうそんなにガリヒョロではない)な彼は、自分というブレない軸があって 自身のコントロールも上手で、考え方も立ち振る舞いもスタイリッシュでロジカルで、でも決して冷たい人なわけじゃなくて思慮深くて周りをよく見ているやさしい人で、男気と度胸があって、なんてことない顔で周りの人のために努力できる人で。知れば知るほどそんな一面が見えてきて、性別とか関係なく 私は一人の大人として 一人の人間として 彼のようなひとになりたい と憧れているんだと思います。…だと思います、だなんてぼやかしているのは、そう断言できるほど まだ私は私に自信がないからだと思います。

彼の好きなところの一つに変化を恐れないところ というのがあります。
自分はこうだ と決めつけずにその時その時の自分自身に問いかけている、みたいな印象を持っているんだけどどうなんだろうなあ。それがもしかしたら気まぐれ、気分屋に見えてしまうかもしれないけど、自分を自分で縛らないっていうのも一つ大事な感覚なんじゃないかな、と個人的には思っています。
そしてそれは彼が少年の心を持ち続けているところにも繋がる気がしていて。いつまでも“未体験希望症”でいられることって本当に凄いことだと思うのです。保守的になってしまわずに、新しいことにぶつかれる。私もそんな風なひとでいたいなあ~って思ったり。私が これでいいのかなあ ってちょっと悩んでいた性質も、ああやって突き詰めればかっこいいんだなあって救われたり。したりして。

そしてきっとその軸として彼を支えているのは、今までの人生で培ってこられた 自己肯定感 だったりするのかなあ、などと想像しています。ディテールが多少変わっても、本質の根っこの自分は自分。どんな時もどんと構えていられるところもとてもかっこいいなと思います。
そうして自分を受け入れられるからか、推しは人を肯定するのが得意なイメージがあります。それとも他人を肯定するから自分のことも肯定できるんかな。鶏が先か卵が先か、私にはわかりませんが。


そういえば私翡翠推し名乗り始めためちゃくちゃ序盤って実はリアコガチ恋が本当にだめだったんですよね。でもそれって完全に裏返しで、自分の中にほんの少し芽生えていたそういう気持ちが許せなくて認めてあげられなくて 大人でいたいから押し殺さなくちゃ 増幅する前に無くさなきゃ って頑張ってたからだったんですよねえ。
でも一年以上もオタクしてたらいろんな気持ちが湧いてきて、アイドルとして目標を達成して成功していって欲しいってのが一番なのはもちろん変わらないけれど かっこよくてかわいくて優しくて人として尊敬できて こんなにもよくできた推しに対して 憧れも母性もリアコも愛も全部感じてる自分に気付いたし、周りに迷惑をかけたりしないというのは前提として 推しに対してのどんな気持ちも全部 推すという行為に繋がってるならそれでいいかな〜って 自分をまるごと肯定してあげられるようになった気がします。愛してる っていうとなんだか特定の恋人に向ける言葉っていうイメージが先行してちょっと違うな?となるんだけど、夢をかなえてほしい 笑っててほしい こころもからだも健やかでいてほしい 幸せでいてほしい っていうこの気持ちの正体は紛れもなく愛なんだよなあ~。今となってはあの時の自分の選択や感情が間違っていたとも思わないし、今の自分にたどり着くには必要な過程だっただろうな~って思えているので良かったなって思っています。
こうして考えが変わっていったのは、もちろん自分が日々の中でちょっとずついろんなことを吸収していってるからだと思うけど、その中には少なくとも 懐が深くて全てを肯定してくれる包容力の高い推しの影響も含まれているんだろうなあ って思うと、なんだかうれしくてしあわせな気持ちです。これからももっともっとしなやかで強かで柔軟な大人になりたいなあ。

でも、もしかしたらずっと昔から彼を応援してきた人からしたら全然違う印象になったりするんだろうか、なんて思ったりもします。彼と出会って1年半ほどの私は推しを上記のようなかっこいいひとだと思っているけど、もしずっと前から応援している方たちからすれば 彼はかっこよくあろうとするひとなのかもしれないな、みたいな。伝わるかなあ。新規の勝手な想像なのでわかんないんですけど。てか新規が何偉そうに語ってんだと言われたらそれは本当にそうとしか言いようがないんですが……そこはすみませんご容赦ください。今更の注意書きがすぎる。

きっと何年か前の私が彼と出会っていたらまた全然違う見え方だったろうし、推しているうちに時が流れて改めて言葉に落とし込んだら違う見え方になるかもしれない。推しとの年齢差が違えばまた見えるものも変わってくるんじゃないかなあと思います。


だからこそ 私が こうして好きだなあと思える推しに出会え続けていることは実は奇跡みたいな出来事なんじゃないかって 思うのです。今の私 と 今の推し が重なって、好きだって 応援したいって思えることは当たり前のようで当たり前じゃないんだよなあって。ずっと飽きさせず好きでいさせてもらえること、ただシンプルにすごいなあ うれしいなあと思います。
そして、彼の、彼らの勢いに振り落とされることがないように、私自身も成長していきたいって思うのです。

もちろんずっとずっと彼らと共に歳を重ねたいと思っているし 彼らの描く大きな未来に私という小さな光を灯していたいって思っているし そのつもりで応援しているけれど、今後彼らにも私にも何が起こるかなんて 少なくとも今の私には わからない。わからないけど。
きっと同じ景色をもう一度見ようとしてもそれは二度と叶わない。もちろんそれはアイドルに限った話ではないだろうけどね。その時目の前にいる推しと その時自分の感じたことを改めて大切にしながら、いつか私と彼らが重ならなくなってしまうその瞬間までずっと 目まぐるしく変化を遂げる彼らのそのキラキラした姿を見ていたい。私はそのために彼らを、彼を応援していたいなあ、という話でした。




さて、こんな自己満クソ重謎エントリーを最後まで読んでくれた皆々様、本当に本当にありがとうございました。なんか割と時間かけて書いた割に読み返しても何書いてんだ…?って(本人ですら)なってるし 推しメンのこと書いてるのか推したちのこと書いてるのか途中からわからなくなってきたし構成もオチもないとんでもなく纏まりのないものになってしまったけれど、自分的にはなんとなく頭の中でぼやーっと考えていたことを吐き出せて割と満足しています。オタクすることも 自分の浮き沈みの波も なんだかんだまるごと楽しめている今の自分が、昔よりもずっとずっと好きだなあ なんてぼんやりと思いながら*3
一つ断りを入れておきたいのは、私は相変わらずこうやってお気持ち表明して自己顕示することでただ気分をよくしている哀しいオタクであるだけなので、誰かに物申したいとかいう意図も一切ないし正直あまり深く気にしないでください。こういうのって日々どれぐらい表に出していいのかさっぱりわからなくて意外と溜めちゃいがち。全く病んでもないです。たぶん今日もダーリン踊ってみたの最強にかっこいい推しとか 近所の野良猫ちゃんに懐かれてオタクムーブかましている推しとか 🐰さんを翻弄している対談動画のかっこいい推し*4とか 特典会で撮らせてもらった推しのスクショとか やたらかわいい推しの日常ツイートとかを見ていつも通りニマニマしています。オタクは年中無休で通常営業。そして、推しの12年目がたくさんのワクワクと愛で溢れるよう祈っています。
推しへ。せっかくの周年記念の日にこんな変なエントリーを公開してすみません。もちろんこんなところを読まれていないということだけは確信していますが、直接伝えたい言葉は綺麗に纏めてお手紙に書いたのでそちらを参照してください。これからもよろしくお願いします! わたしより。

*1:迷いすぎているのでたぶんTwitterには共有しないと思います 本当はURL限定公開とかにしたいぐらい はてブロさんそういう機能付きませんか?

*2:3次元の実在人物に解釈とかあるんかな………

*3:なんか全体的にぼんやりしている人やね、私

*4:公開から丸二日とか経っても何度でも噛みしめては味わっています

やっと会えたんじゃん、

ついに画面の向こうの人に会いに行きました。


お久しぶりです。幕張当日ですね。早起き出来て余裕ぶっこいてたらバス乗り遅れてヒヤヒヤで雨の中ガンダしてなんとか予定の電車に乗れました。*1わたあやと申します。
こちらは、先日初めて対面特典会に行った新規オタクがえっちらおっちら感想をしたためたエントリー*2となっております。なんだか時間を持て余しているよ!なんて方は良かったらお付き合いくださいませ。よろしくお願いいたします。




これといったきっかけもなくただ踊ってみた動画*3を見てめせもあさんのことを気になりはじめたのが2019年11月、フリラを覗いて沼に転がり落ちる予感がしたのが12月、完全に自らをオタクと認めFCに入ったのが2020年1月、行く予定でチケットと休みを取っていたチェキ会と烏合フリラが延期を経て中止になったのが2020年3月。

コロナ新規と括られると ちょっとだけ違うねん…!と言いたくなってしまうような、そんな時期に私はめせもあさんのオタクになりました。


だから、今までの所謂“普通”のイルミィ1年生を送ることはできませんでした。まあこの辺は昨年末の振り返りブログでも既に触れた通りなのですが、それでも初めてのドルオタ人生はそれはもうめちゃくちゃ楽しかったです。タイミングを残念に思うことはもちろんあるけれど、後悔は全くもってしていません。私にとってはめちゃくちゃベストタイミングで出会えたので!


むしろこうして初対面を終えた今振り返ってみると、段階的に推しと接触できたのは個人的にありがたかったかもしれないとすら思っています。逆に。ポジティブすぎていっそ清々しいな。



初めてお話させていただいたのは4月のトークコール会。“推しと直接話す”という初めての状況下でも、顔が見えない分なんとかお話に集中することができた気がしています*4。『(チェキ会で初めましての予定が中止になってしまったけど)良かった!電話できて!』という推しの言葉が、なんだかとても印象的でした。

そんなお電話を経ての、IG特典会。お世辞にも慣れたとは言えないながらも、電話での経験があってか思ったよりはしっかりとお話しできたのではないかと思っています*5

その後も名前の由来をお話ししたり、全力エールを頂いたり、スクショが撮れるようになったり、LINEに変わったりといろいろ(いろいろ)ありつつ、回数を重ねるごとに推しとのお話をそれなりに緊張しすぎず*6楽しめるようになりました。そもそもの性質である強めのコミュ障を踏まえて考えると、結構自分の中では大進歩です。


そんな折に開催が決定した、大阪での対面特典会。
昨年末に推しと豊洲行く行かへん、みたいな話をしていた時に「(豊洲)来れたらいいんだけどねえ~!まあ豊洲が成功したら俺らも動けるようになると思うし、(中略)そっちにも絶対行くね」って言ってくださったことを思い出して、推しの言う通りになったなあ~!なんて感動したりして。結局豊洲は諸々を鑑みて断念していたので、嬉しさもひとしおでした。

融通の利く職場であることを心の底から感謝しながら*7スケジュールを調整して、チケットをとって。
信頼を寄せている妹にどんなお洋服着ていこう?って相談したり、どんなポーズでお写真撮ってもらおうかって考えたり。そういう時間も今までの何倍も楽しくてワクワクしました。


そしてあっという間に迎えた当日。
いざブースに足を踏み入れると、目の前のビニールの向こうには紛れもなく推しが存在していました。いや、何言ってんだ当たり前だろっていう話なんですけど、私の中の当たり前にはまだその状況はなくて。
推しを画面の中で見ることにあまりにも慣れすぎていて、実際目の前に現れた推しのサイズ感に慣れなくてとても不思議な感覚でした。そう、ついに

画面の向こうじゃない 君の目の前で 僕らは生きてる

を改めて体感することが出来たのです。

枚数分のお写真を撮ってもらって、やっと直接来れたことや情勢のことなどをお話しして。ライブ楽しみにしています、って話で締めて、ブースを出ました。
言ってしまえばたったそれだけ。もっと実のある話をした方が、もっと普段感じていることや感謝を伝えた方が良かったんじゃないかとか思ったりしなくはないですが、それでも。
これはわたしにとって忘れられない、大切な日になりました。


きっと次に会えた時は、ちゃんと名前を呼ばせてください。
初めてお話ししてからずっと、なんだか恥ずかしくて二番さんって後輩ちゃんたちみたいにお呼びしていたのはここだけの話です。
初めてお話ししてから1年が経った次こそは、二番くん、って言えますように。

*1:あとしれっとブログタイトルを変更しました

*2:それにしてもさすがにのんびりしすぎた。私が参加したの初日の大阪なんですが…幕張までに間に合わせようと思ったら結局移動中になってしまった。ギリギリすぎる

*3:nico.ms

*4:集中できたからといってしっかり喋れたというわけではなかったのであった…

*5:と思ってレポ見返してみたけど全然そんなことなかった。「最高でした」「FWがダメでした」「楽しかった」しか言えてないが…

*6:整番後ろの方とはいえ枠始まって30分経過時点でまだ美容院にいた時は流石にドキドキした。間に合ってよかったです

*7:いやまあそもそも土曜も休ませてほしいが

ポジティブでいたいオタクの2020年振り返り

お久しぶりです。先日ネガポジ診断なるものをやってみたところ、

【ネガポジ診断】わたあやさんは、ネガティブが60%、ポジティブが40%でした。

◆分類「老賢者型ネガティブ」

ネガポジの度合いで言えば、多少ですが「ネガティブ」に寄っています。ほんのりネガティブというだけですから、極端に表情が暗いとか、物事を悪く捉えすぎるということはないかと思われます。少し傷つく度合いが強かったり、脳内がどんよりしている時間が長い、ということはあるかもしれません。
分類としては「老賢者型」のネガティブとされました。あまり人と争わず、強い主張もせず、傷つけることはありません。また人と広く交わることをせず、明るさもなく、ひっそりと内輪の人間関係だけで済ませていくタイプです。一方で、物分かりが良かったり物事のコツを掴むのが早いなど、基礎能力が高く、ひっそりとした賢者のような人なのです。
苦労しそうな点を挙げるならば、それは、世知辛い社会を生き抜くパワフルさがないことや、寂しくなりやすいこと、ちょっとしたことで(もしくは何も起きていなくても)自己嫌悪に陥りやすいことでしょう。
↓詳細はこちら。みんなやろう!
https://seikaku.hanihoh.com/seikaku4/r/?k=95fea7dcd2bd4b

ポジティブが微妙に打ち勝てない結果となりました。あれ。あと波乱万丈指数5って。基本省エネで生きている自覚はあったけどもはやそういう次元超えててウケる。申し遅れました、わたあやと申します。


さて、今年も残り僅かとなりました。せっかくのタイミングですし、私も今年を振り返っておこうと一念発起して書き始めました。続々とあがる皆様の素敵な文章を拝読するたびに私のこの薄っぺらで下手くそな言葉たちを公開することを正直かなり葛藤していたのですが、まああの…せっかくあーでもないこーでもないと生み出したので、あまり期待せず暇つぶしにでもお読みいただければなと思います(弱気)



思い返せば丁度一年前、月の頭に開催されたフリラに足を運んでから毎日過去動画やブログをひたすら遡っていた頃だったと記憶しています。
晦日も、実家での年越しもラストになるだろうと、大阪という近い距離でやってるにも関わらず呑気にカウコンも行かずに妹のジャニカン鑑賞に付き合っていました。*1

まさか、それから一年間現場に足を運ぶことができなくなるともつゆ知らず。




2020年を振り返ると、私にとっては、二番煎じさんとめせもあさんを推すと決め、推し始めたことが最大の出来事だったように思います。
コロナウイルスがめちゃめちゃ流行り始めただとか、勤務地が変わり実家を出て一人暮らしを始めただとか自分の中で大きな変化はいくつもあったけれど、それでもなお私の中では彼らを推し始めたことが一番のトピックスでした。

一度も直接応援しに行けなかったこと、初めましてがオンラインでしかできなかったこと、リリイベもチェキ会もツアーも舞台も足を運べなかったことは、もちろんすごく悲しかったです。悔しいとか腹立たしいとかでもなく、ただただ悲しかった。どうしてこんなタイミングで彼らに出会ってしまったんだろうと、思わなかったといえば嘘になります。


だけど、ここまでアイドルを推すという経験が限りなく無いに等しかったことに加えオンラインという状況下も相まって、今年のあらゆることが私にとっては新鮮で色鮮やかに映りました。

烏合之衆も、配信ライブも宿題チェキもチェキくじもパシフィコ配信も、トークコールもボイスドラマも飲み回配信もペアライブも、GALAXY.5もオンライン特典会もPQもランウェイもアワアワも。

たくさんたくさん思い出ができました。

直接会いに行けなくても、彼らがたくさんたくさんインターネットを通して発信し続けてくださったから、たくさんの楽しみをいただいて、たくさんの幸せを感じることができました。

初めてリプを送り始めた時のことも、電話で緊張しながらはじめましてと伝えた時のことも、お歌を聴いて何度も泣いたことも初めてツアーを見て衝撃を受けたことも特典会で応援してもらったことも。
どんな些細なことも全部全部忘れたくない。


来年がどうなるかなんてまだわかりません。もしかしたらライブや特典会が復活していくかもしれないし、できないかもしれない。例え現場が復活したとして、私が動けなくなってしまう可能性だってあります。
だけど、きっと彼らが夢を追い続けてくれるなら、きっとどうにか幸せを届けてくれると信じています。いつまでも悲観していても意味がない、と大好きな推しから教わったから。
あんなに考え方の癖がどネガティブだった私でも、どうやらポジティブとネガティブで均衡して戦えるぐらいにはなったみたいです。ありがとう、二番煎じさん。まだポジティブは勝てていないみたいだけど(笑)

そうして前向きに、来年また新しく出会う幸せも、今年出会った幸せも、目の前の幸せをひとつ残さず拾い上げられたらいいなあ、なんて、思います。
それと実は推しに影響されて掲げようと思っている来年の抱負がもう1つあるのですが、達成できる自信が全くないのでちゃんと達成できたらまた振り返ってブログに…は書かないと思うんですけど(笑)


まあそんなことはさておき、2020年私と出会ってくれたすべての皆様、本当にありがとうございました!こんな支離滅裂謎ブログを最後まで見てくださったことも、重ね重ねありがとうございます。
直ぐにとはいかないかも知れないけれど、きっといつか会えることを信じています。良かったら来年以降もどうぞ宜しくお願いいたします。良いお年をお迎えくださいませ!

*1:まあ今年実家帰って配信見るので全然ラストじゃなかったけど

はじめて推しの誕生日を迎えました。

ソロガチャ祭りを終えて日付が変わった今日9月14日は、私の推しである二番煎じさんの誕生日です。

私は翡翠推し1年生ですので、今日が初めての推しの誕生日 ということになりました。
今日という大切な記念日をこうしてお祝いできること、とても嬉しく思います。


このお誕生日というイベントに向けて、特に日常と変わったことはしていませんし、きっと今日が終わるまでも大したことはしないんだと思います。

何かツイートされたらリプライを送って、配信が開催されたら見に行ってコメント打って、朝起きたらいつもと変わらず出勤するでしょう。



ただ一つだけ。

初めて推しにお手紙を書きました。





一つとか言ってブログ書いとるやんけ というのはスルーでお願いします それはそう





過去に推しと呼べる人は何人かいたもののファンレターと呼ばれるものを送るのは人生において初めてでした。
何カ月も前からこっそりソワソワして、パソコンのメモ帳でポチポチ下書きを練って、いざ便箋へと文字を移していくのは楽しくて。


きっとお忙しいでしょうし、もし読んでいただけるならサクッと読んでもらえるようにしようと心がけていたのに蓋を開けると便箋3枚いっぱいにメッセージを詰め込んでしまいました。文字数にして1000文字と少し。


ちょっと詰め込みすぎたかなと反省しつつ、でも伝えたいことは思ったより簡潔に書けたかなと思います。



いつも元気と幸せと、ちょっぴりダメな自分も受け入れる強さを二番さんからいただいています。

こんなことを一節として書いたわけなんですが、これは結構自分の中でオタクでいる意味というか、彼を推しているにあたって核になっているものというか。




めせもあさんの、二番煎じさんのオタクである、と周りや自分自身に言い聞かせることで私は私のアイデンティティを保っているんですよね。

自分というものに未だ自信が持てなくて。何かに縋っていたくて。





でも二番さんを推すことになってからのこの一年にも満たない期間で、確かに少しだけ変われたような気もするのです。


二番さんはどんな時でも、根本的にご自身を卑下したり蔑んだりすることがないように見えます。

自分を肯定してあげて、自分自身のケアをしてあげて、そして自分にできるめいっぱいのパフォーマンスを届けてくださる。

自分という軸を大切にしながら、でも周りも否定しない。



もちろん私から見える彼なので、本当のところはわかりません。


でも、二番さんを見ていて、いつからか私も少しだけ自分を大事にして生きられるようになったような気がしています。




自分を見失わない。自分を殺さない、自分に嘘をつかない。多少の無理はしてもいいけど無茶はしない。自分も周りも否定しない。





もしかしたら元々の自分の中に潜在的にそういう意識はあったのかもしれないけれど、それをここまで引き出してくれたのは紛れもなく二番さんなんだろうなと思います。



私は、私が思っている以上に 二番さんに影響されて、二番さんに救われているんだなあと改めて実感しました。






そろそろ締め方がわからなくなってきたのでここらへんで。




お誕生日おめでとうございます。

二番煎じさんが健やかで幸せでいられる一年になりますように。
そしてきっと来年も変わらずこの日をお祝いできますようにと、ささやかに祈っています。